日本を含め、インド・太平洋の広い範囲でオニヒトデ大量発生が次々に起きて問題となったのは1960年代から1970年代でした。その後、沖縄やオーストラリア・グレートバリアリーフでは十数年間隔で大量発生が繰り返し起きたことは「その1」で述べたとおりです。では、1960年代以前は大量発生が起きていたのでしょうか、また、起きていたのであればその間隔はどのくらいだったのでしょうか?
日本国内の過去100年間にわたる新聞記事や行政文書、報告書類の検索や聞き取りによってまとめられたオニヒトデ発生記録によれば、1912年に鹿児島県与論島で起きた大量発生が最も古いものでした。同島では1926年、1939年、1950年にも大量発生が確認されています。沖縄県では恩納村で1942年と1957年に、鳩間島では1949年と1953年に、宮古島では1957年にそれぞれ大量発生が起きました。与論島や恩納村での大量発生が11年~15年間隔で起きているのは1960年代以降と同じように見えますが、それらを含め、どの大量発生も1年ないし2年で終息したことや、近隣海域で二次的な大量発生が起きていなかったことが大きく異なる点です。
グレートバリアリーフではさらに時代を遡って大量発生時期を調べる研究が行われました。好物のミドリイシ類を食べ尽くした大量発生末期のオニヒトデは、普段はほとんど食べない塊状ハマサンゴを食べるようになります。ハマサンゴが部分的に食べられた場合、死亡した部分は生き残った部分の成長で再び覆われてしまうのですが、このとき成長面が作り出す年輪が乱れます。そこでグレートバリアリーフ各地で直径数メートルの大型ハマサンゴから柱状サンプルを採取して年輪を調べた結果、1970年代、1960年代、1930年代、1880年代に大量発生の痕跡が見出されました。これらのうち前二者は実際の大量発生記録と合致し、また、1930年代にはインドネシア、フィリピン、パラオ、サモアなど西太平洋各地で大量発生の報告がありました。これらのことから、グレートバリアリーフでは1930年代と1880年代に大量発生が起きたと推定されています。
さらに、パラオ、フィジー、サモア、ソシエテといった太平洋の島々にはオニヒトデをさす現地語が古くから存在することがわかっています。食用にならず、普段はまれにしか見ることのないオニヒトデに固有の名前をつけるのは、それが危険生物であることに加えて、世代をこえて語り継ぐような出来事、すなわち大量発生が古くから時おり起きていたためだと考えられています。
以上のように、サンゴ礁が現在よりずっと自然状態であった時代にもオニヒトデは大量発生していました。しかし、1960年代以降と比較して、大量発生の規模は小さいか、または発生間隔が長かったようです。
岡地 賢